ミャスコフスキー:交響曲集 (6曲) スヴェトラーノフ=ロシア国立so (OLYMPIA)バラ3枚セット
曲目・演奏者
●ミャスコフスキー:
{1} OCD731 / 第1集
[1] 交響曲第1番ハ短調 Op.3
[2] 同 第25番 変ニ長調 Op.69
{2} OCD732 / 第2集
[3] 同 第2番嬰ハ短調 Op.11
[4] 同 第18番ハ長調 Op.42 (十月革命20周年に捧ぐ)
{2} OCD735 / 第5集
[5] 同 第5番ニ長調 Op.18
[6] 同 第12番ト短調 Op.35 (十月革命15周年に捧ぐ)
■エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮 ロシア国立so
ディスク・データ
CD// 海外盤 {DDD} OLYMPIA*OCD 731,732,735 <バラ3枚セット>
発売:01, 02年/録音:1991〜93年/収録時間:78分 / 72分 / 77分
△ミャスコフスキー交響的作品集全集 第1, 2, 5集 △ディスク=Made in England bt DICTRONICS
コンディション
◇ディスク:{1,2} A〜A-/ 外縁に小スリキズ少しあり,{3} A-/ 点キズわずかにあり / 外縁に小キズ少しあり
◇ブックレット:{1} A-〜B+/ 小口側下辺にツメ咬み痕あり,{2,3} A-/ 裏表紙背側にシワ少しあり
◇プラケース:{1,2} A-〜B+,{3} B+
録音データ・その他
☆1991〜93年 モスクワ音楽院大ホールにおける録音。(EP) ジャッキー・キャンベル。
−ニコライ・ミャスコフスキーはロシアの作曲家 (1881- 1950)。ベートーヴェン以降の作曲家としては異例の27曲の交響曲を作曲しました。幼少の頃から音楽の道を志していたものの、軍人の家庭に生まれたため軍務を退役してからペテルブルク音楽院に進学 (1906年 / 25歳)。そこでプロコフィエフと同級となり、生涯にわたる親交を結びました。[1]の交響曲第1番は音楽院の卒業制作だったとのことですが、そのスケッチをプロコフィエフに見せ、アドヴァイスを受けたとのこと。1921年の改訂では第1楽章と第3楽章が縮小され、オーケストレイションが変更されました。
−ミャスコフスキーというとショスタコーヴィチと異なり、当局の望む社会主義の思想にふさわしい音楽を書き、重宝されたというイメージがありましたが、作風には大きな変遷があり、1921年から1933年までの間は最も実験的な時期だったとのこと。確かにその間の作品である [6]第12番には前衛的な挑戦が含まれ、特に第2楽章に顕著です。ロシア革命の頂点である十月革命15周年の祝典のための作品ですから、当局はもっと平明な祝典曲を書いてほしかったことでしょう。
−ミャスコフスキーの交響曲全集を録音したのはいまだにスヴェトラーノフのみでしょう。しかも管弦楽曲を含む交響的作品全集です。レコード会社の提案によって作らされたわけではなく、スヴェトラーノフの熱意からの制作であったとのこと。ソ連崩壊の年 1991年に録音を着手し、1993年に完成しました。ただし過去に録音していた3曲 (第3番: 1965年, 第19, 22番: 1970年) はそれを流用しています。−当セットは2001〜08年にかけて順次発売された 英OLYMPIAレーベルによる17枚バラ全集からの3枚です。
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